おっさんはリスクを管理する

雑談

おっさんはリスクというものを
いつも考えて生きているよ。 (`・ω・´)

リスクの回避と低減

火事というリスクを考えた場合、
・消化器を置く
・火災保険に入る
このように火事が起こったとき、
被害を抑える、損害を補償できるようにしておく
というのがリスクの軽減。
石造りでガスも電気も使用しない
不燃物で固めた建物を作ることが
(実使用に耐えるかどうかは別として)
火事というリスクの回避となる。
それを考えた上で・・・

リスクを取らない人たち?

少し前に7歳の女の子が迷子になっていたのを
周りの大人が誰も助けないので5年生の
男の子が保護したという事件があった。
この男の子は立派なのは間違いない。
このとき周りの大人達は
「誘拐犯その他の犯罪者に間違われる」
というおそれを持って助けなかったのではないか
という話であった。
しかしおっさんは助けなかった
周りの大人が悪いとは思わない。

リスクを回避する弁護士

この件に関して弁護士先生はメディア取材に対して
・誘拐犯に間違われても説明すれば大丈夫
・冤罪になっても裁判になるまで疑いは晴れる
といっていたがこれはキレイ事だし根本が間違っている。
犯罪者に間違われるという
リスクの回避になっていない。
しかし当然この弁護士も責められない。
メディアから改まってコメントを求められて
「助けないほうがリスク回避になります」
などと行ったら炎上必至だ。
これがこの弁護士先生なりのリスク回避なのだ。

たとえ大人二人で保護しても

じゃあ大人二人で保護したらどうなのか?
「子供の臓器売買目的の誘拐犯だ」
と言われたら警察も調べないわけには行かない。
とにかく行動そのものがリスクを伴うのだ。
関わることでリスク回避できなくなる。
もう子供連れの夫婦しか迷子は保護できない。
それでも完全なリスク回避にはならないが。

疑わしきは罰せずは通用しない

そもそも疑わしきは罰せずとか被告の利益に、
というは司法の話である。
司法の場である裁判では疑わしきは
罰せずという精神なのだろうが
行政組織の警察には当てはまらない。
警察は市民の安寧秩序を守るために
活動するのであるから疑わしきを
質すのは当たり前である。
結局警察に通報・逮捕・勾留されてしまうと
たとえ無実であっても平穏な
社会生活を送る上でかなりのリスクになるのだ。

究極のリスク回避

「君子危うきに近寄らず」
「触らぬ神に祟りなし」
これは究極のリスク回避の格言だ。
言葉は異なれど昔からリスク回避という
同じ概念があったのであるから、
同じようなことは昔からあった。

今も昔も変わらない

おっさんが子供の頃、
おばあさんが暴漢に襲われているのに
周りの誰も助けず、おじいさんが体当りして助けた
という事件があった。
今回のような迷子を助けないというようなことと
類似のことは現れる形が違うだけ昔からあったのだ。
ことさら今の人を悪く言う風潮には違和感しか覚えない。

本来は助けたいと思っている

人間というのは利他的な行動が取れる生物である。
困っている人を助けたいという欲求は確かにある。
社会の風潮がこういうリスク回避の
行動を取らせているだけであるから
絶望する必要はない。
リスク回避しつつ助ける方法を知恵を持って
臨機応変に対応できると良いのだと思う。

リスクを管理して平穏な社会生活を送ろう。 (`・ω・´)

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